2010/02/20

Tumblr的覚醒





Tech系やHack系のサイトでTumblrを紹介した記事では「効率的に情報を集めることができる」ということをまず必ず書く。そしてもう少し使い込むと「自分はこういう嗜好だったのかという発見がある」とか「自分の何かを再発見できる」とか書かれている。でも実際にそこまでの感覚はある程度は使い込まないと(端的に言えば「ハマらないと」)短期的には起こらないのではないか。自分のTumblrを見返してみて「自分好みのものが沢山たまった」と感じるだけのことではないか。しかし一線を踏み越えると「ある種の覚醒感」は確かにある。


(中略)


「Tumblrは質より量」「reblogが肝だ」ということは、Tumblrを使い込んだ人の多くが言う。これは一線を超えて使い込めば極めて短期間に、普通の(どの程度が普通か定義しにくいが)使い方なら緩やかに起こることなのだと思う。


(中略)


あること(ものでもいい)に興味を持つ。同じベクトルの人を何人かフォローしてみる。同じベクトルと言っても自分と全く同じ感覚の人はそうそういない。一定の幅の中で微妙に違った感覚のものがダッシュボードに流れてくる。その微妙な違いが逆に自分のフォーカスを調整して鮮明なものにしてくれる。そんな感覚だ。やはりポイントは「reblogする」というアクションにある。「これをreblogした」という実際のアクションと感覚がプチ覚醒感をたぐり寄せていく。そしてそのプチ覚醒感の積み重なりが何か大きな覚醒につながる予感が僕にはするのだ。



Tumblr(タンブラー)のreblogがたぐり寄せるプチ覚醒感 - 自転車で遠くへ行きたい。 (via reretlet) (via ak47)